楽しいから好きが 合い言葉


■幼稚園は子ども達が喜んで行ってくれさえすれば良い、との考えは正しいようですが、
  それだけでは充分だとは言えません。

■幼稚園に限らず、人生のどんな場面でも、人には楽しさが必要です。
 学校は勉強する所、幼稚園は遊ぶ所と定義するから、このような考えが生まれるのです。

■私どもは「楽しさの中身」が大切だと考えています。
 まず、楽しいこと。これは絶対に無視できない必要条件です。
 しかし、2年あるいは3年、幼稚園に通う間、自由に遊んでいるだけで、
  子ども達は本当に楽しんでいると言えるのでしょうか?

■ピアジェ(現在の教育に多大な功績を残したスイスの発達心理学者)は、学習動機のひとつに
 「機能的快」があるとしています。少しむずかしい話になります。
 「機能的快」とは、子どもの持つ成長動機(大人になりたい、知識を得たい、技能を身につけたいなど)に
 即応したとき、子ども自らが得る成長感です。
 単に楽しいという娯楽的快とは全く異質なものです。

■どのような活動で子ども達が機能的快を得るかは、子どもの発達段階によって当然異なります。

■発達段階を無視したり、幼児特有の能力を誤った方向に向けさせるから、知育教育全般が否定され、
  子どもの思いのままに生活させることが最善だとの間違った自由保育がもてはやされるのです。

■また、学習にとって大切なのは、練習の回数ではなく、能動的に取り組む態度です。受身ではないのです。
  新鮮な気持ちで、自発的に学習していくなら1回だけの経験でも知識は定着します。
  反復を全面的に否定するのではありませんが、1回の活動毎に観点を変える必要はあります。
  毎回新鮮な感動が必要なので活動のバリエーション化を図る必要性があるのです。

■ピアジェによれば、子どもの知的発達は、正答の増大ではなく、誤答を自分で発見し、
  修正する能動的過程のみに存在するとしています。
  なお発達心理学の第一人者である滝沢武久教授の「子どもの認知発達」に関する勉強会に参加し
  学んでいます。



表現活動を通して自己の確立へ


■大抵の幼稚園では、いわゆる「お絵描き」「絵画」「劇遊び(せりふが中心)」
  「オペレッタ(歌いながら演じる)」などの活動があり、これらの活動が運動会と並んで
  保育の代名詞のように思われています。

  以前のつくし幼稚園でも派手な衣装やお面をつけて、曲に合わせて踊ったものです。

  「誰のための行事?誰のための保育?」との問いかけを大阪の幼稚園の小谷園長先生に
  叩きつけられたとき、見栄えや派手さは一切必要ないことを気付かされました。

  繰り返しの練習が必要となる発表会などを、一体誰のために行なうのでしょうか ?

  主役と脇役が歴然と分かれている活動に、どうして子ども達が積極的に楽しんで取り組めるでしょうか?

  つくし幼稚園の発表会は文字通り、全員が主役です。
  主役になったり、相手役になったり、年長児ならひとり数役をこなします。しかも常に数人で
  ひとつの役を行なうので、 みんなとてもリラックスして活動を楽しみます。
  また発表会が終わっても、毎日のように子ども達から「またしたい」との声が聞かれます。


■運動会についてもふれましょう。
  運動会も、どの幼稚園でも、年間行事の中で特に力を入れているといえます。

  なのに、つくし幼稚園では入場門も退場門もお遊戯も鼓隊も組み体操もいわゆる
  見栄えのするものは一切やめました。
  何故でしょう?

  炎天下での繰り返しの練習は、たとえ運動会そのものは楽しくても、苦痛の時間として
  記憶されている方も多いのではないでしょうか?
  当日も長い間待機して、実際に競技するのはほんのわずか。
  いったい誰のための 運動会なのでしょうか?

 運動会に限らず、「どんな行事も日常保育の通過点でなければならない」との考えは
  理想の保育とされています。

  しかし、現実は「園の保育を見てもらうのはここ」とばかりに、子ども達の気持ちを無視して、
  見栄えを追求し、繰り返しの練習に明け暮れているのが、残念ながら悲しい現実でした。
  まぎれもなく以前のつくし幼稚園は「行事のためだけ」の活動でした。

  つくし幼稚園の子ども達に尋ねてください。「今日も運動会したよ」と言うはずです。
  練習をさせられているとの意識が全くないからです。

  では、運動会当日を子ども達はどう表現するでしょうか?

 「お母さんが見に来てくれる運動会」なのです。

  私どもは、子ども達にとって「毎日が運動会」であるよう、その日その日を完結するよう
  取り組んでいます。
 これは、決して「毎日運動会をしている」という意味ではなく、運動会のための特別な練習をしない、
 ということです。
  運動会当日までの一日一日を当日のための準備期間と見てはならないのです。

  運動会を経験した後も、学年毎のミニ運動会を行ないます。年長の競技でもあるリレーや
  縄跳びを使った活動はその後も子ども達自身で継続されます。12月にはリレー大会、
  3月には縄跳び大会があるからで、その間の子ども達の意欲には目を見張るものがあります。


■幼稚園での「お絵描き(つくし幼稚園では描画活動とよびます)」は小学校での作文だと思ってください。
  幼児は文章では自分の思いを表現できなくても、絵でなら可能だから幼稚園で絵を描くのです。
  もし幼稚園で描く絵に、子ども自身の思いや考えが表れていなければ幼稚園で絵を描く意味が
  なくなるとまで言えます。


■「お遊戯(身体表現活動)」も同様です。
  指導者の指示する通りに踊っていては、可愛いだけであって、教育的意義はありません。


■幼稚園時代だけではなく、「すべての教育の原点は『表現』であるべきだ」と考えています。

  自己表現とは、決して自己アピールの能力を意味するのではありません。画家、音楽家、
  作家といった特殊な才能を持った人たちの活動だけが自己表現ではありません。ですから、
  どんなに素晴らしく描けた絵でも、クラスの作品がどれも同じでは、私どもの基準では、
  表現活動ではありません。
  どんなに難しい曲が演奏できても、そこに子ども達の生命の躍動感がなければ
  表現活動ではありません。

  得た知識を再構成し、第三者に何らかの方法で伝える過程が自己表現なのです。この自己表現能力は、
  学習する上でも、生活する上でも大切です。
  いろいろな場面で、いろいろな方法で自己表現することにより、自己を見つめ、自己を確認し、
  自己を修正しながら、一個の自己を確立していくのです。




○当園は、ピアジェの思想に基づき、保育を構築されている千里敬愛幼稚園の小谷園長先生に
  教えを承りながら、現在保育を行なっています。